2011年5月17日火曜日

ドナルド・キーン

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● 2008年文化勲章受賞のドナルド・キーン




ウオールストリートジャーナル 2011年 5月 13日 13:01 JST
http://jp.wsj.com/Japan/node_235776

【肥田美佐子のNYリポート】日本永住を決意したドナルド・キーン氏に聞く「震災後、米国人の親日感情は最高潮」

 4月26日、日本文学研究のパイオニアとして知られるドナルド・キーン米コロンビア大学名誉教授(88)が、約10人の大学院生などを前に最後の授業を行い、56年に及ぶ教師生活にピリオドを打った。
 日本国籍を取得し、余生を「日本人」として過ごすためだ。

 約35人の報道陣が見守るなか、キーン名誉教授は、ゆったりとした穏やかな口調ながらも、
 「19年前の公式な引退後も教壇に立ってきたが、日本では、 88歳(米寿)は重要な年。
 わたしも人生をチェンジすべきときだと考え、日本で残りの人生を全うすることにした」
と、英語で決意を語った。
 帰化は、長い間、驚くほどの親切さで接してくれた日本人への「せめてもの恩返し」だという。

 キーン氏は、いったい日本のどこに魅了されたのか。
 日本人の最大の短所は何か。
 東日本大震災で大きな転換点に立つ日本には、何が求められているのか――。
 最後の授業の翌週、ニューヨーク市内の同大学で、日本文化を極めたキーン名誉教授に日本語で話を聞いた。


● ドナルド・キーン氏

――今年になって日本永住を考え始めたとうかがっています。

 キーン氏:1月、日本で3週間入院した際、あとどのくらい生きるか分からないと考え、残りの人生をどこで過ごすか、まじめに考えるようになった。
 そして、達したのが、いちばん住みやすい所は日本、という結論だった。
 かねてから日本の友人などに恵まれたことに対し、感謝の気持ちを伝えたいと思っていたところ、大震災が起こった。
 テレビで、ものすごい津波の映像を見て、日本の国籍を取ろうという気持ちが固まった。
 わたしの決断が日本の人たちに勇気を与えると言ってくれた日本人もいる。
 日本を離れる野球選手なども多いなかで、一人だけ日本に向かうのだから、驚く人もいたが、反対する人はいなかった。わたしを知っている人は、みんな、「なるほど(当然)」と。

 今、何十年もかけて集めた文学書や美術書など何千冊をどう処分しようか、考えているところだ。
 今まで1冊も捨てたことがない。
 東京には、35年前に買った家がある。
 これまでも、1年の3分の2を日本で過ごしてきた。
 日本でも教えたことはあるが、日本の習慣では、70歳になると仕事がないので(笑)、講演活動などを行ってきた。
 北海道から九州まで、すべての都道府県を回った。

――56年間の教師生活を振り返って、最も心に残る思い出は何でしょう?

 キーン氏: 1968年、コロンビア大学で、学生のストライキがあった(注:映画『いちご白書』の下敷きにもなった有名な学園紛争)。
 わたしの教え子たちは参加していなかったが、(学内が騒然としていたので)私の家で授業をした。
 わたしは、学生が政治活動にかかわってもかまわないと考えていたが、1つだけ大事なことがあった。
 日本文学を愛していること、だ。
 あのころの学生は、心底、日本文学に「惚れて」いた。
 だから、授業もうまくいった。
 教え子には本当に恵まれた。

――教授は、日本という「女性」と結婚したようなものだと発言されています。
 その女性のどこにいちばんひかれたのでしょう?

 キーン氏: 日本にいると、いちばん落ち着く。
 米国が嫌いなわけではないが、ニューヨークに帰ってくるとショックを受ける。
 物を買っても、ありがとうとも言われない。
 今日も医者に診察してもらったが、「ワイシャツを脱げ」といった調子だ(笑)。
 それに比べて、日本のお医者さんの丁寧なことといったら。
 人間と動物のいちばんの違いは「礼儀」である。
 わたし自身、自然に日本の礼儀を守るようになった。
 もちろん、知らないこともあったが、いったん覚えると、それを実践してきた。

 31歳のころ、日本に留学し、下宿したのが、京都にある国宝級の家の離れだった。
 いろりや茶室もあり、なんともいえない眺めだった。
 縁側に立つと、人家が一軒もなく、見えるのは、お寺だけ。
 だが、ひと月ほどたつと、母屋に米国帰りの京大の助教授が入ってきた。
 それを聞き、大変がっかりした。
 きっと英語の練習をさせられると思ったからだ。
 彼の部屋の前を通るときは、横を向いて視線を合わせないようにした。

 ところが、ある夜、夕食を共にすることになり、以来、親友になった。
 のちに文部大臣となった永井道雄氏(故人)である。素晴らしい人だった。
 彼に出会ってから、現代の日本も知らねばだめだと思い、選挙演説を聴きに行ったりした。
 当時、『夕鶴』(戯曲)が大人気だった木下順二とも知り合った。
 人の紹介で三島由紀夫とも親しくなり、作品の一部を訳したこともある。
 素晴らしい日本人の友人を持って、本当に幸せだった。

――日本人と米国人の最大の違いは何だと思われますか。

キーン氏: 家族に不幸があっても、泣いたりせず、自分の本当の気持ちを隠して人に接するのが日本人。
 一方、米国人は、ワーッと話す(笑)。
 以前、ハワイ出身の力士が負けたとき、とても悲しそうな顔をしたが、日本の力士は、表情を見せない。
 外国人が日本で暮らすと、日本人は、なぜ悲しいのに笑うのかと驚く。

 今回の震災でも、米国人は、日本人の落ち着きぶりに驚いた。
 素晴らしい、と。
 今ほど親日感情が高まっているときはない。
 わたしの友人で、特に日本に関心がない人でも、大震災の話をする。
 (いろいろな話が出るが)誰からも、一度も日本の悪口を聞いたことがない。

――逆に、日本の最大の欠点は何でしょう?

キーン氏: 極端から極端に走るところ、だろうか。
 バブルのころは、ロックフェラーセンターからドイツのお城まで、(日系企業が)ほうぼうで土地などを買ったが、もうちょっと遠慮してもよかったのではないか。

 だが、(バブルがはじけると)今度は逆に、
 「もう日本はだめだ。外国は、みんな中国に興味がある」
となってしまう。
 もう日本語を勉強したがる外国人はいないと言うが、うそだ。
 今年は、(コロンビア大学の日本文学のクラスには)去年の倍の学生が集まった。
 日本では、ジャパン・バッシングからジャパン・パッシング(日本外し)など、誰かが言い出すと、みんなそれにならってしまう。

 今日、ニュースで知ったが、(2013年以降)ニューヨークのタクシーが日産車に統一されるという。
 日本製品はいいということを、みんな知っている。
 風評被害で日本の食べ物を敬遠する米国人もいるという話があるが、わたしの周りでは聞いたこともない。

――今、日本は、サプライチェーンの混乱など、戦後最大の危機に直面しています。

キーン氏: 日本製品は高品質で信用できるという評価は、揺るぎないものだ。
 以前は、日本は物まねが上手だと言われたが、今は、日本が新製品を出し、他国がまねる時代だ。
 日本の美術も人気がある。
 音楽も、毎年、ニューヨーク・フィルハーモニックが武満徹の曲を演奏するようになり、広く知られるようになった。
 経済力が、世界2位から3位になったことに意味はない。
 中国は人口が多い分、(国内総生産が高くなって)当たり前だ。
 日本が悲観することは何もない。

――震災以降、エネルギー不足や停電の恐れなどにより、昔のレベルの生活にダウンシフトすべきといった声も出ています。

キーン氏: たとえば、機関車を例にとろう。
 懐かしさや(レトロの)美しさへのあこがれから、乗ってみたいという声があるのは分かる。
 だが、私の記憶では、本当にひどいものだった。
 トンネルに入ると慌てて窓を閉めたが、ほこりが口に入って、嫌な味がいつまでも残る。
 持ち物は汚くなるし、ちっともロマンチックではない。

――震災の危機管理や原発対策で、日本政府を批判する声が目立ちますが。

キーン氏: 昔から、日本政府は透明性を欠いていた。
 たとえば、公人に不幸があったときも、原因などが詳しく報道されない。
 日本では、個人的なこととして扱われるのだろう。
 米国などでは詳しく報道されるが、日本政府は、はっきりした情報を出すのを避ける。
 ごまかしているなどとは思わないが、米国とは事情が違う。

――日本に行ったら、真っ先にやりたいことは何ですか。

キーン氏: ささやかなことだが……。
 家の近くの小道の両側に店が並んでいるのだが、まず、そこを歩いて、「帰ってきました!」と、みんなにあいさつしたい。

――日本の読者にメッセージをお願いします。

キーン氏: 日本は大丈夫。必ず復興する、と信じている。

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肥田美佐子 (ひだ・みさこ) フリージャーナリスト

肥田美佐子氏 Ran Suzuki

  東京生まれ。『ニューズウィーク日本版』の編集などを経て、1997年渡米。ニューヨークの米系広告代理店やケーブルテレビネットワーク・制作会社など にエディター、シニアエディターとして勤務後、フリーに。2007年、国際労働機関国際研修所(ITC-ILO)の報道機関向け研修・コンペ(イタリア・ トリノ)に参加。日本の過労死問題の英文報道記事で同機関第1回メディア賞を受賞。2008年6月、ジュネーブでの授賞式、およびILO年次総会に招聘さ れる。2009年10月、ペンシルベニア大学ウォートン校(経営大学院)のビジネスジャーナリスト向け研修を修了。『週刊エコノミスト』 『週刊東洋経済』 『プレジデント』 『AERA』 『サンデー毎日』 『ニューズウィーク日本版』 『週刊ダイヤモンド』などに寄稿。日本語の著書(ルポ)や英文記事の執筆、経済関連書籍の翻訳も手がけるかたわら、日米での講演も行う。共訳書に『ワーキ ング・プア――アメリカの下層社会』『窒息するオフィス――仕事に強迫されるアメリカ人』など。マンハッタン在住。 http://www.misakohida.com




http://www.youtube.com/watch?v=b7bFT2Smd0I




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