2011年2月13日日曜日

「無縁社会」と「孤独死」  

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● 無縁社会




池田信夫blog 2011年02月13日14時20分
http://news.livedoor.com/article/detail/5340108/

「無縁社会」キャンペーンの恥ずかしさ  

 昨夜のNHKの「無縁社会」の番組が、あちこちで話題になっている。
 私は「働く世代の孤立を防げ」というタイトルだけで見る気がしなかったが、内容は想像以上に恥ずかしいものだったようだ。
 それは上のイラストからも感じられるが、きわめつけがスタッフの作ったとみられる自作自演のつぶやきだ。

 朝日新聞の「孤族」キャンペーンとも共通するのは、日本は本来「有縁社会」で、その縁が失われるのは嘆かわしいという湿っぽいノスタルジアだ。
 しかし島田裕巳氏も指摘するように、人々は経済成長によって縁を失ったのではなく、高度成長期に自由で豊かな生活にあこがれて都市に集まり
 みずから「無縁化」したのだ

 小池和男氏などの調査でも明らかなように、日本人が「社縁」の好きな会社人間だというのも幻想である。

 ところがNHKはこれを逆に見て
 「無縁社会を解消していくために私たちができること
という問題を立て
 「20~30代の4割が非正規雇用で働いている今、賃金があがることも、明日の保証もない。
 無縁社会を解消するために、私たちは何ができるのでしょうか?」
と問いかける。
 ここでは「非正規雇用」は望ましくない働き方で、彼らを「正社員」にしてあげることが政府やNPOの役割だというストーリーが最初から前提されている。

 これが事実なら、話は簡単だ。
 労働基準法を改正してすべての労働者を終身雇用(無期雇用契約)にし、解雇を全面禁止すればいい。
 それが答にならないことは、日本郵便のケースを見れば明らかだろう。
 亀井静香氏の命令で6500人の非正社員を正社員に「登用」したおかげで、今度は2000人を雇い止めする結果になった。
 これは「雇用規制を強化すると雇用は減る」という経済理論の人体実験である。

 根本的な問題は、経済がグローバル化して競争が激化し、その変化を会社という共同体(長期的関係)で吸収できなくなったことだ。
 こういう状況で無理に社縁を守ろうとすると、会社が市場で淘汰されてしまう。
 競争に対応するには古い組織を個人を単位とする市民社会に分解して柔軟に動けるようにするしかなく、そういう変化が全世界で起こっている。

 こうした後期近代の問題は、昔NHKがキャンペーンを張った「ワーキングプア」とか「格差社会」に比べれば本質的である。
 所得格差はバラマキ福祉で(短期的には)解決できるが、中間集団の求心力が失われて社会が<私>に分解する傾向は止めることができないからだ。

 この種の問題は、欧米では繰り返し論じられてきた。
 社会が個人に分解することが望ましいと主張して政府の役割を否定したのがリバタリアンで、
 それに対して普遍的な正義の観点から政府による所得再分配が必要だと考えたのがリベラルだ。
 両者に共通する個人主義を批判して、各コミュニティに固有の価値を守ろうとしたのがコミュニタリアンである。

 ところが日本では、サンデルの講義を放送したNHKでさえ問題の所在を理解しないで、古きよき有縁社会をいかに取り戻すかというノスタルジアを繰り返す。
 それが人々の感情に訴え、政治的にアピールしやすいことは事実だろう。

 施政方針演説でも、菅首相は
 「『無縁社会』や『孤族』と言われるように、社会から孤立する人が増えています」
と述べ、
 「誰一人として排除されない社会」
の実現を誓った。
 しかしこんな古くさい温情主義が何の解決にもならないことは、この1年半の民主党政権の実績で明らかだ。

 ハイエクも論じたように、どんなコミュニティも自生的秩序として維持されるかぎりにおいて続くのであり、コミュニティを政府が作り出すことはできない。
 個人主義にもとづく市民社会は快適ではないが、日本が自由経済システムをとった以上、後戻りは不可能である。
 政府の役割は縁を作り出すことではなく、個人の自立を支援する最低保障だ。
 未練がましい無縁社会キャンペーンは有害無益である。


池田信夫blog
経済学者。上武大学経営情報学部教授、SBI大学院大学客員教授。著書に、「使える経済書100冊 (『資本論』から『ブラック・スワン』まで) (生活人新書)」など多数。



 朝鮮日報から。


● chosun.com



朝鮮日報 : 2011/02/04 10:59:12
http://www.chosunonline.com/news/20110204000020

忍び寄る「孤独死」、今では青壮年層も

一人暮らしをする人が全体の24%

失業が貧困を生み、貧困は孤独を生む

 先月4日午後6時ごろ、京畿道水原市にある考試院(受験生向けの貸し部屋)で、住人のイさん(32)がベッドにうつ伏せになったまま死んでいるのを考試院の管理人が発見し、警察に通報した。
 警察の関係者は、
 「すでに死体の硬直が進んでいたのを見ると、死後数日が経っていると思われる」
と話した。
 死亡したイさんは江原道出身で、3年前からこの考試院で暮らしていた。

 家電メーカーに勤務していたイさんが暮らしていた約5平方メートルの小さな部屋には、シングルベッドとテレビだけが置かれ、シャワーとトイレは共同だった。
 この考試院は家賃が月20万ウォン(約1万4600円)で、全部で23世帯が暮らしている。
 イさんはほかの部屋の入居者と同じく、人々との交流はなかった。
 考試院の管理人のイさん(56)は、
 「ここ3年間、家族にせよ友だちにせよ、イさんを訪ねてくる人を見たことがない。
 考試院で暮らす人々は台所を共同で利用しているが、一緒にご飯を作って食べるようなこともほとんどない」
と語った。

 ソウル市内の新村駅近くにある考試院で一人暮らしをするチェさん(29)に会った。
 ソウル市内の大学に入学したのをきっかけに、故郷の全羅北道全州市を離れ、考試院での生活を始めた。
 大学卒業後に兵役を終え、その後4年間にわたって行政考試(日本の国家公務員第1種試験に相当)の勉強に励んでいたが、昨年あきらめてしまった。
 考試院での生活は今年で10年目だ。
 チェさんは中学生を教える家庭教師したり、夕方には飲み屋でアルバイトをしながら月に約 100万ウォン(約7万3000円)を稼いでいる。
 部屋の大きさは5平方メートルほどで、トイレとシャワーはやはり共同だ。
 チェさんは「朝、隣の部屋のアラームの音で目覚める。
 隣の部屋でどんなテレビを見ているのかも分かる」としながらも、
 「隣の住人の名前や仕事も知らないし、あいさつしたこともない」
と、寂しそうに語った。
 また「一人暮らしをする寂しさから、自殺を考えたこともある」と悲しい胸中を打ち明けた。

■韓国も「孤独死」の時代に突入か

 日本では年間「73万2千人」が誰にも知られることなく死を迎えている。
 こうした死を「孤独死」と呼ぶが、主に高齢者がひっそり孤独死するケースが多い。
 韓国でも、高齢者が誰も知らない間に死亡していたというニュースをよく耳にする。
 そして最近では、青壮年層の失業や一人暮らしの急増で、韓国の青壮年層の孤独死が増えている。

 統計庁は昨年12月28日、「2010年人口住宅総調査」と題する調査結果を発表した。
 2000年の調査では222万4000世帯にすぎなかった一人暮らしの割合は、05年には317万1000世帯、10年には403万9000世帯にまで増えたことが分かった。
 全世帯のうち一人暮らしの占める割合は23.7%。4世帯に1世帯が一人暮らしをしている計算だ。
 09年末に統計庁は、2030年には一人暮らしをする割合が23.7%にまで上昇するとの見通しを示したが、政府の予想よりも20年早く一人暮らしをする世帯が増えたというわけだ。

 一人暮らしをする人が増えている状況は、韓国に限ったことではない。
 米国や欧州では、1990年代にすでに一人暮らしをする人の割合が全体の 20%を超えた。
 しかし、これらの国では、成人すると共に親から独立する風潮がある。
 こうした先進国の状況とは異なり、韓国では仕方なく一人暮らしをする人が増えている、というのが問題なのだ。
 一人暮らしの構造的特徴について研究した現代経済研究院のチョ・ホジョン研究員は
 「一人暮らしについては肯定的な側面もあるが、社会の変化が著しい韓国社会では、むしろ否定的な側面の方が大きい」
とした上で、
 「一人暮らしの場合、日雇いや単純労働の占める割合が高く、韓国全体の平均と比べると所得が極端に低い傾向にある。
 その格差は拡大しており、貧困化が進んでいる」
と指摘した。

 自営業(八百屋)を営んでいたチャンさん(46)は、3年前からソウル市鍾路区敦義洞にチョッパン(狭くて古いワンルーム)を借りて暮らしている。
 チョンさんは、生活保護として毎月42万ウォン(約3万円)を受け取っている以外に、これといった収入がない。
 肝硬変と糖尿病を患い仕事ができなくなってからは、一日中テレビを見ながら毎日を過ごしている。
 チョンさんは、
 「家族とはしばらく連絡を取っておらず、周囲には付き合いをする友人もいない。
 知っている人は誰もいない」
と、寂しげに語った。

 一人暮らしをする人が増えている中で、さらに深刻なのは、一人暮らしをする年齢層が60代以上の高齢者だけではなく、20-50代の青壮年層にまで拡大しているということだ。
 現代経済研究院の調査によると、一人暮らしをする人の割合は40-50代が29.9%、20-30代が23%を占める。
 チョ・ホジョン研究員は
 「就職できなければ友人との縁も薄くなり、結婚もますます遠のいてしまう。
 こうなると、すべてのことが面倒臭くなって一人で暮らす方がましだと考えるようになり、個人主義がさらに深まっていく」
と説明した。

■寂しさを感じるも交友関係は持たず

 ソウル市竜山区東子洞にある考試院で暮らすソさん(49)は、 20年間働いてきた靴工場が中国に移転することになり、失業者となった。
 考試院で一人暮らしを始めて8年が過ぎたソさんは、生活保護として毎月42万ウォンを受け取り、このうち18万ウォン(約1万3000円)を考試院の家賃に当てている。
 3階建ての3階にあるソさんの部屋(約5平方メートル)には窓がなく、便器だけが設置されたトイレを10世帯が共同で使用する。
 ソさんは、
 「両親は亡くなり、弟が二人いるが、正月やお盆に連絡を取る程度」
と話した。
 ソさんが暮らす考試院の3階には10世帯が住んでいるが、ソさんは
 「隣に住んでいる人がどんな人かも分からない。
 隣で人が死んでも一切分からない」
と語った。

 一人暮らしをする人々は、貧しさに加え、寂しさと孤独感を味わっている。
 一人暮らしの代表的な住居形態である考試院とチョッパンは、小さな部屋が隣り合わせでいくつも並んでいる。
 人口密度は非常に高いものの、隣の住人とあいさつをしたり、個人的な会話を交わすことはめったにない。

 日本のNHKは昨年、
 「血縁や地縁などの伝統的な関係が絶たれた日本は、
 個人がこれ以上、他人と縁を結ばないという「無縁社会へと変化」しつつある」
といった内容の番組を放送した。

 15年にわたって東子洞で考試院を経営しているファンさん(80)は
 「昔は主にお年寄りたちがチョッパンや考試院で暮らしていたが、最近では 30-40代の若者の利用者が増えた」
と話す。
 また、
 「昨年の夏、部屋から異臭がしたためドアをこじ開けて中に入ってみると、死体が腐っていた。
 独身生活をする人が多いこの町では、死後しばらく経ってから発見されるケースが少なくない」
と話した。

 こうした現代社会の傾向について、専門家たちは、一人暮らしの急増を現実問題として受け止め、しっかりとした対策を立てていくべきだ、と指摘する。
 西江大学社会学部の田尚鎮(チョン・サンジン)教授は
 「一人暮らしの急増に伴う自殺や犯罪などの副作用を、共同体の規範を正すことで乗り越えようとするのは、理想主義的なアプローチにすぎない」
とし、
 「現代社会における一人暮らしは、今では一つの生活方式であると共にトレンドともいえる。
 こうした点を見据え、しっかりと考えていくべきだ」
と指摘した。
 なお、韓国にはいまだ「孤独死」に対する統計は存在しない

ソク・ナムジュン記者
ノ・ジノ記者(インターン、釜山大学新聞放送学科4年)



 忍び寄る孤独死への誘惑。
 「孤独死」、なんとも甘美な響きであるが。
 人はどこまで孤独に耐えられるものであろうか。

 はるかな昔、学生のころデビット・リースマンの「孤独な大衆」という本があった。
 そして、よく読まれていた。
 内容はというと、人は生活の保証さえあれば「人とのつながりを嫌う」というもの。
 それが都会人であり、近代人だとリースマンはいっていた。
 濃厚な人間関係が保たれるは、そうしないと生活できない環境にあるからであり、知識や技術をもって生きていく
 現代人は人間関係の濃厚さを極端に嫌うもの

だという説である。
 そこそこに白けた関係で友人関係を構築するものだという。
 この「無縁社会」と銘打ったものも、はるか昔のリースマンの説となんらかわりはない。






ガジェット通信 2011.02.15
http://getnews.jp/archives/99251

NHKスペシャル『無縁社会』に出たニコニコ生放送ユーザーが語る“演出への違和感”

ガジェット通信一芸記者の、みつき@なごやです。
私は、2011年2月11日(金)に放送されたNHKスペシャル『無縁社会~新たなつながりを求めて~』に『ニコニコ生放送』利用者として出演しました。
この番組に関しては放送直後から「ニコニコ生放送利用者に対する表現が暗すぎるのでは」という声があがっており、さらに翌日の討論番組が放送された後には「番組で紹介されたツイートは、やらせなのでは?」という疑惑もあがりました。
この「無縁社会」というドキュメンタリー番組は2010年1月に放送されたものが最初です。
孤独死がテーマのこのドキュメンタリーを起点としたNHKのキャンペーンは昨年話題となり、「無縁社会」という言葉は流行語大賞にノミネートされたほどです。
今回の放送は「無縁社会」の存在を前提として、それではそれを解消する”絆” をつくるためにはどうしたらいいか、という内容です。
しかしそれに関しても上記のような問題点の指摘がなされ、さらには「そもそも無縁社会って悪いものなの?」という議論まで巻き起こっている状況です。

今回私はNHKさんに取材を受け、「ニコニコ生放送でのネット縁でつながりを持つ人」としてこの番組に出たわけですが、実際にこの番組に出た人間として、この番組に感じた違和感や、事実と違った部分を率直に書きたいと思います。

●「ネット縁」に対して前向きに考えて出演を承諾したのに、「無縁だからネットに逃げ込んでいる」ような演出をされてしまった

私は昔からオンラインゲーム(ウルティマオンライン)に夢中になったり、ブログや、友人同士でヤフーチャットで楽しみながらタイピングの練習をしたり、スカイプを使用して、距離的に離れた友人とお話したりしていました。
こういった点でネットに”縁、つながり”を感じているため、今回の企画の取材を受けました。
これはあくまで「ネット縁」を前向きに捉えて企画趣旨に賛同したものです。
私には家族もおりますし、友人もいます。
結婚したから連絡が取りづらくなった友人はいますが、友達がいないわけではありません。
この番組シリーズでいう「無縁」とは違う状況だと思います。
あくまでも「遠くにいる友だちとチャットで連絡を取り合える」ことや「見知らぬ人とでもニコニコ生放送を通してコミュニケーションできる」という新しい「ネット縁」がこれまでにない新しい「縁」を生み出しているという点を知ってもらう一助となればということで取材を受けたつもりでした。

ですが今回の放送を観て、とても違和感を感じました。
父の看護で疲れ、友人もおらず、現実逃避のためネット生放送を利用し、ネットの先の見知らぬ人に対して居酒屋や公園でひとりぼっちで話しかける。
まるで現実には人と触れ合いの少ない「無縁」な人みたいです。
私は接客業をしていますから人との触れ合いもあります。
実際にお店で働いているシーンもNHKの方は撮影されていました。しかし、その部分は番組では使われませんでした。

●実年齢を公開される
いきなり放送で実年齢が公開されたのにもびっくりしました。
『ニコニコ生放送』で放送する私の設定は「アラサーで婚活中の女子」というものだったのですが、実年齢は38歳なので本当はアラフォーです。
笑い話みたいですが、年齢が公表されてしまうとこの設定が使えません。
取材時にNHKさんには
「ニコニコ生放送ではアラサーという事にしていますが、本当は38歳なんです。リアル友達にニコニコ生放送やってると言ったら、その年になってなにやってんの!? と言われてから、ニコニコ生放送をやっている事はリアルでは言わない事にして、放送上では年齢的にイタイと言われないようにアラサーという表現をしている」
と説明しました。
『NHKスペシャル』で画面に自分の年齢が表示されたのには、とてもびっくりしました。

●演出への違和感
私自身、番組のナレーションのトーンや内容がとてもとても暗い感じであることに、たいへん違和感を覚えました。
少なくとも私はそこまで悲壮感を抱いて『ニコニコ生放送』で放送はしていないかな、と思います。
ただ、客観的に第三者から見たら、配信してる様子ってそう見えるのか……と冷静に考えさせられました。

「無縁」がこの番組のテーマですので、私が「無縁」な人だという風に見せたかったのかもしれません。
なので、現実世界で「無縁」な私が「ネット縁」にすがっている、と見えるような演出をされたような気がします。
しかし実際にはそんなことはありません。
例えば最初の居酒屋のシーンで「ひとりぼっちの飲み会」というキャプションが入ります。
確かに一人でやっているので間違いではないですし、そういうキャラだからいいと言えばいいのですが、それでも「ネット縁でつながった友達と一緒に楽しむ飲み会」という趣旨で取材していただいているのだと思って飲み、食べ、歌もうたったのに、いきなり「ひとりぼっちの飲み会」というキャプションを入れられてしまうと本当に、単に友達がいなくて寂しくて居酒屋にやってきてパソコンに向かって話しかけている人みたいに見えてしまうと思います。
『ニコニコ生放送』を知っている人であればまだ状況を理解できると思いますが、そうではない人が見ると、本当に単にイタイ人みたいに見えてしまうのではないでしょうか。

●ナレーションの間違い
ナレーションにも間違いがありました。

「結婚を考える余裕もない、今の生活。将来ひとりきりになってしまうのではないか。その不安で、インターネット中継をはじめたと言います」
というナレーションが入りましたが、私は企業コミュニティのウェブ担当に「生主にならないか?」とスカウトされたことで『ニコニコ生放送』をはじめました(企業コミュ専属生主)。これは『ニコニコ大百科』というサイトにも掲載されている事実です。
ナレーションにあるような「ひとりきりになる不安」で『ニコニコ生放送』を始めたわけではありません。

●ニコニコニュースさんからの取材について
NHKさんからの取材とは別にニコニコニュースさんからの取材も受けました。
30分ほどの電話取材でした。
この内容は放送日に記事として公開されました。
主にNHKさんからの取材内容についてお話しました。
電話取材の途中に「リアルで友人がいるなら無縁ではないのでは?」ということを質問され、職場での縁つながりやネットでのつながり、またはリアルでのつながりというテーマでお話しました。
NHKさんの取材にもニコニコニュースさんの取材にも共通して答えた事は
「趣味で生放送しているので、趣味仲間ができると嬉しい」
「生放送で同じ時間を過ごすのであれば、どうせなら楽しくわきあいあいとした笑顔な時間にしたい」
といった内容でした。

●放送日まで、どのように放送されるかまったくわからなかった
NHKの記者さんからは、
「番組テーマ的に凄く明るい内容ではないけれども、悪いようには編集しないので安心して下さい。最後には明るくなるように編集しますから」
と言われていました。
どの様な取り上げ方や編集の仕方になるのか不安でしたが、信じることにしました。
しかし実際に放送された、悲壮感あふれる演出には違和感がありますし、公表して欲しくなかった情報やナレーションの間違いなどがありました。

以上、NHKスペシャル『無縁社会~新たなつながりを求めて~』に出た人間として感じた違和感や間違っていると思う点などを率直に書かせていただきました。



 どうもこれ、「NHKのヤラセ」が一部混じっているようである。


NHK日本のこれから~無縁社会~』、Twitter使って自作自演疑惑
http://togetter.com/li/100095







 <future design> 



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